患者さんがいない時に書く日記

趣味多めの薬剤師の暇つぶしブログ

遺書とは(自分の死後について考えてみた)

ども、今日は暇なYA店です。今日は処方箋4枚くらい来たらうれしいな...。

最近仕事中、暇なときにどうでもいいことを調べています。

最近戦争や物騒な事件などもあるので自分が突然死んでしまうことを想像してしまいます。或いは脳梗塞などの病気による後遺症で意思伝達が不可能になるかもしれない。

実は高校生くらいの時から突然の死についてはたまに考えていて自殺などは100%する気はないですが「もしも」の時のために1年ごとに更新する遺書をそのうち作成するべきだと思っていました。

1年ごとに更新というのは、ある時遺書を書いて誰かに自分の死後の指示(僕の〇〇は~さんに渡してください、とか、僕のPCは破壊しておいてください...等)をしていたとしても時間がたてば気が変わるかもしれない(昔書いた遺書にはPCを破壊するように書いたけどやっぱり破壊せずに売ってお金の足しにしてくれ~と幽霊の僕が思うかもしれない)

なので更新性の遺書は超重要だと思う。

しかし、いざ紙に書くとなればあまりに筆が重い。というか遺書書く時間があるならゲームや趣味の時間にあててしまう。

これは突然の死について想像はできているものの、なんだかんだ自分はすぐ死なないとどこかで信じ切っているせいだと思う(本当に突然の死を恐れているなら突然を何とか回避しているその瞬間に書くべきだから)

そして遺書を書くなら机をきれいにして、きれいな紙上にきれいな字で書きあげるのだと想像するとおそらく僕はその重い腰を遂には突然の時が訪れるまで動かすことはないと確信している。

 

だからこのブログにある程度書こうと思う。(匿名性は守りつつ)

 

と思ったけど遺書なんて他人に対しての言葉だから匿名性を維持したままここでその内容を書くことは不可能でした...。

 

そもそもそこまで死後のお願いがないことに気づいた...。

まずスマホのパスワードを誰かに教えてLINEから友人に僕の死を連絡してもらう(伝える友人も限定しないとすごい数になるから指定するつもり)。

可能ならTwitterの高校の同級生垢、大学垢、ボカロP垢で死を報告してもらう。

可能ならPCにストックしてある投稿していない曲たちを投稿してもらう。(親では投稿の操作が難しいから友人に頼むか...ならgoogledriveとかにストックしておいてgoogle垢も伝えておかないと...)

僕の所持品(服、PC回り等)は好きなようにしてもらう(売るなりもらうなり誰かに譲るなり)

あとは親への感謝の言葉などを書く感じですかね...。

あと様々なサービスのパスワードやIDは残しておくべきですね。本人の頭の中にしかない情報は何らかの媒体で記録しておくべきです。

 

...それくらいですかね。

 

いや~、改めて死を想像しましたがあまりにも未知すぎる。小学生の頃に初めて死後の想像をした時のことは鮮明に覚えています。

まだ親と同じ部屋で寝ていたころ部屋を暗くして目を閉じるとなぜか死後について想像してしまいました。TVで医療物などで人がなくなったのですかね(そういえば子供の頃ドクターコトーというドラマを親が良く見ていたのを覚えています)。自分が死んでしまうとそれまであった自我や意識はどうなるのか。死ぬ寸前までは苦しい!や痛い!などと意識を思っているのだろうけど死んだらその意識はどうなる?死んでしまって感覚がなくなって視界は真っ暗で何も感知できないことを感じながら永遠に意識は存在するのか?いや死んで火葬されて骨だけになってしまえば感覚を司る脳もないわけだから意識だけが永遠に存在することはあり得ない。では一体どうなる...?

そこで逆に胎児の意識について考えました。胎児はどの時点から意識があるのだろう。ここでいう意識は母親を母と認識する、などという高度なものではなく単に起きたり寝たり泣いたり腕を無造作に動かすなど意識がないとできない行為に働くものを指します。

母親のおなかの中にいるときにすでに意識はあるのでしょうか。だんだん受精卵から脳ができていく際にじわじわと意識はできていくのでしょうか。もしくは脳が形成されていく中である瞬間(何かの神経と神経がつながる瞬間等)に一瞬で意識は形成されるのでしょうか。

いずれにしても無から意識が生まれるということは、死ぬ際の意識が無に帰するという考えにもつなげられる気がします。

無から意識が生まれることが想像できないように意識が無になる瞬間も想像できないのだと納得できます。

実は生まれ変わり制度が本当はあって死後も意識はあり、生まれ変わり先に意識が移って生前の記憶はなくなりまた赤ちゃんからまたスタートとかも面白いですけどね。

でも意識が脳から離れて他人へ移るなら一度浮遊しないといけなくなるので非科学的ですね...(死んだ際に自分の体が触れているベッドや床を介して地中に潜って移動するならまだあり得る...のか??笑)

未知のものを想像するのは楽しいですね。でもそれは自分が今のところあまりに無関係だから楽しいのだと思います。未知が自分に関係するのであればあまりに漠然としており対処方法もわからないため恐怖するのだろうと思います。命に関わることならなおさらです。

未知なる死後の想像が楽しい今はやはりまだ遺書は書けそうにありません。

突然死の可能性があると頭の中ではわかっていますが、やはりどこかでそんなわけないという自信があるため遺書書く時間があるなら今現在の時間を楽しんでしまいます。

九死に一生を体験しないと書くことはなさそうですね...。

でも突然の死の可能性はあるわけなので今現在を楽しみつつ本当に暇なときに遺書、というより僕の引継ぎ書を書こうと思います。

暇すぎてめちゃ長文書いてしまった。こういう時間の使い方をしている限りは遺書は書けなさそうですね笑

 

つまりは今、十分幸せってこと!てなわけでそろそろ締めます。

なんか同じようなことを何回も書いてしまった気がする。死後の世界を考えると思考がループしますね...。死後の世界の解明ができないように全知全能的なものがプログラムしたのか...?(非現実的だからあり得ないけども)

 

長生きはしなくていいくらい自分の人生は完璧な気がするけど、自分がこの世にいたという足跡は残したいので、いろんな人の記憶に長い間残る曲を作っていきたいですね。

某人気漫画ワンピースには人が死ぬのは忘れられた時、という言葉がありました。本当にそうだと思います。僕が作った曲は死ぬことはなくネット上で生き続けます。息が浅くなることはあるかもですが誰かが視聴するたびに息を吹き返します。

ずっと絶え間なく呼吸してくれる曲を作れる作曲家になりたいものですね。

とにかく自分が生まれないと誕生しなかった曲をいっぱい作っていきますので今後ともよろしくお願いします!

 

では!!(暇すぎる!!!!)