患者さんがいない時に書く日記

趣味多めの薬剤師の暇つぶしブログ

雑感(思考の旅)

もうすぐ退勤時間ですが暇すぎるので...雑念の掃き出しをします。

 

・有名人の死はセンセーショナルに報道されるが毎日誰かが無くなっているのは事実であり命は平等ではないと思ってしまう。

生活保護を受けている女性が定期的に性病に罹り無料で治療薬をもらっていく。そのことにイライラを感じると同時に野性的な生き方をうらやましくも思う。生活保護で働かずある程度お金がもらえてやりたいことをやれるその生き方。

・間違いを犯したとしても相手にとっては間違いではない。あるいは間違ってはいるものの正解とすることもできる。そんな状況は意外と多くある。

・タイミングは「良い」「悪い」は実は全く同じ意味なのかもしれない。

・将来的な長期間で考えると、そして世間体など総合的に考えてAというパターンが良い、安泰なのは自明なのに、スリリングかつ瞬間的な輝き(いつかは光を失う、それはきっと近い未来)に手を伸ばそうとしてしまうのは愚かだと思うが、その気持ちもわかるような気がする。恋でも愛でもない一般的ではない感情、それは希少で経験できる機会は限りなく少ないので体感して損はないと思うがあくまで誰にもばれないようにするべきである。そしてその経験は自分の中にとどめておくべき、またはフィクションの中に織り交ぜてノンフィクションをフィクションとすると良い(実体験であるため空想よりも何段階も上の次元での表現が可能になると思う)

・間違った恋を「エモ」とする風潮は最近では毛嫌いされがちではあるが好きである。それがなぜか言語化はできない。ので、してみようと思う。多分「刹那的」「人間的」「儚い」「しかし爽快」「自分と他人の人生の交差(点)」そんな項目によって「=エモ」と解につながるように思える。そして「エモ」の共通項として「思い返せばいい思い出だった、良い経験だった」というものはあると思う。そしてその状況は一時的で継続的に続くものではないからこそ「青春時代」もエモというのはないだろうか。

というかいつの間にか間違った恋等、少しアダルトな内容をエモと呼ぶような流れになった多くは青春時代等を指すことが多かったし今でも大衆的にはそっちの方が一般的かと思う。ネット、兼ねてはSNSが広まり普通には言えないようなことも発信できるようになったためこのようなアダルトな「エモ」が横行したのではないかと考えられる。

少し脱線するが邦ロックバンドの「ナンバーガール」はこの、アダルト的「エモ」の先駆者のひとりであると個人的に思っている。だからこそ今でも人気があるのだろう(サウンド面においても先駆者のひとりだと思う。)

・怒りは当たり前だが冷静とは正反対ではあるが対義語ではない。そのため冷静さを失った怒りの対応はコスパが悪い。そもそもそのような怒りを放出してしまう人は低能のくせにプライドが高い人に多いように思う。そのため、そうはなりたくない。

・負けたことがいつまでも頭に残っているくせに、次回同じ状況になったときは勝てるような努力をしないのは怠慢だ。これは学歴コンプのくせに浪人せずに学歴を変えようと行動しない人にも言える。(その他の方面で学歴を凌駕する功績を目指しているなら良いが)

・効率よく相手に何かを伝える際は若干失礼になることがある。(「失礼」でなくすためには様々な言い回し、作法が必要であるため)

・行動は大体が手段であるがメッセージを残すという手段は目的と一体化している。(例えば水を飲むという行動は手段であり、目的としては体液内に水分を巡らし脱水を防ぐ、というように手段と目的は別々であることが多い)

・Backcpace横には¥がある。消し間違えてお金が増えたらいいのに。

・絶対に順風満帆な道を歩んでいるのに、踏み外してみたらどうなるんだろうと考えている。しかし、情やそれだけではない何かがそれを阻止する。そして99%もう順風満帆からは引き返せない位置にいる。ここから道を踏み外す場合、人生で最も覚悟が必要な決断になる。そのため、きっと今の道を歩き続ける。そしていつかこの思い出がエモとなる...。(伏線回収)